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2014年5月5日(月)
提言ニッポンの逆説① 日本は平和国家なのか

ゲスト

佐藤健志
作家 評論家
古市憲寿
社会学者 東京大学大学院博士課程

日本は平和国家なのか 戦争とは 平和とは
島田キャスター
「日本は平和国家なのかですが、まず戦争とは何か。平和とは何かから考えていきたいと思います。戦争と平和の関係性をどう捉えていますか?」
佐藤氏
「戦争と平和の関係については大きく2つの違った考え方があると思います。1つは、国際社会というものは放っておけば平和であると。平和であるのがノーマル、正常な状態であって、戦争は平和が崩れた異常な状態であるという考え方。戦後の日本はこれが強いのではないかと思います。もう1つは、国際社会は放っておけば戦争するのであって、平和というのはそれが一時的に中断された異常な状態。異常というのは平和がよくないということではなくて、平和であることの方が珍しいという考え方です。世界の歴史を顧みて、どちらの考え方がより適切か。現実的にあっているか。残念ながら、後者ではないかと思います」
島田キャスター
「戦争が常態化しているのが普通だと」
佐藤氏
「これは、古代ギリシャの歴史家ツキディデスという人がずばり平和とは何かというと、永遠に続く戦争が一時的に中断された状態であると言い切っているぐらいでして、あるいはフランス革命の時、『フランス革命の省察』という本が出ましたが、そこに最近のフランスは安定した平和が5年も続いたのに、どうしてこんな革命が起きるのかと書いてあるんです。平和が5年続くということは、特筆に値したんですよ。第二次世界大戦が終わってから、この70年ぐらい、そうではないという認識が何ら成立する余地が前より強くなったと。理由は簡単でもう核兵器をはじめ、大量破壊兵器ができましたから、これ以上大戦争をやったら人類そのものが危ないと。それで国際連合、あるいは主要国による集団の安全保障管理というのは世界的にやるんだという発想が強まった。こちらの方が歴史的に見れば、よほど変わった時代ですよ」
島田キャスター
「この70年が長い歴史の中ではかなり異常?」
佐藤氏
「平和であることが当たり前であるかのごとく考えられた。非常にある意味、恵まれた時代です」
反町キャスター
「戦争が常態化している中での平和が一時期の異常な状態だというような理屈に立ったとした場合に、人類の歴史というのはまさに戦争の歴史と置き換えられる部分がもしあるならば、戦争の効用は、戦争があることによって人類というのはこういう進歩をしたとか、こういうものを得たというのはあるのですか?」
佐藤氏
「まずテクノロジーの進歩には非常に貢献をしているんです、戦争というものは。人類を月に送ったロケットはもともと第二次大戦中のミサイル研究から始まっています。それはわかりやすい例ですが、何と言っても、人間というのは物事を自分の都合に合わせてつくり変えたい。そういう動物です。その一番ストレートな形が、力を持って、自分のやり方を押しつける。つまり、人間の社会というものがものごとを自分の都合に合わせてつくり変えていきたいという。そうやって人間は文明をつくり、文化をつくったわけですが、それが人間の本質であるとすれば、いつか力づくででも、それをやるというところに行きつくというのは、これは良くも悪くも必然でしょう。その意味でも本当に戦争というのは、人間にはどこか皆戦争は好きなところはあると。実際、アメリカの南北戦争で南軍側の将軍だったロバート・イーリーという人が、名台詞を吐いていまして、戦争がこれほど過酷なのは良いことだ。でなければ人間は戦争が好きになる。本当に好きになってしまうと。だから、これだけ悲惨だから、どうにか戦争を止めようという気にもなるのであって、放っておいたら、物事を思い通りにしたいという欲求がある限り、人間は武器を持って、言うことを聞けと迫る方向にいってしまうと思います」
島田キャスター
「そうすると古代からずっと人間は欲求と戦ってきて、それに負けて戦争をしてしまう状態だということ」
佐藤氏
「だと思います。地上から本当に戦争を根絶したかったから、これは人類が人類を滅ぼすしかないと私は思っています」
反町キャスター
「民主主義も、戦争の産物なのですか?」
佐藤氏
「戦争の産物かどうかわかりませんが、日本では第二次大戦に負けてから、民主主義の世の中になったというイメージが強いので、何となく民主主義と戦争は対立概念のようなイメージがありますが、歴史的に見ますと、必ずしもそうとは言えません。と言うのは、戦争というのは、特に大規模な戦争、国を挙げてやるものほど、国の幅広い人々が参加するんです。すると、戦争中はともかく戦争が終わったあとに、我々にも応分の見返りをくれという話にどうしてもなるし、それは認めざるを得ないと。つまり、戦争が社会の民主化に貢献するという傾向は明らかにあります。と言うのも、古代ギリシャの民主制というのは、アテネの場合、ペルシア戦争という戦争の産物です。あるいは日本の、いわゆる大正デモクラシーも日露戦争が当時の日本にとって大戦争であったことと決して無縁ではないでしょう。そう考えると戦後日本の民主化がうまくいったのも、1つに太平洋戦争という、あれだけの大戦争が下地をつくっておいてくれたからという議論は十分可能だと思います」
反町キャスター
「勝った場合に分け前を分配しようということでの民主主義という話かと思ったのですが、太平洋戦争に日本は負けました。負けた時の分配というのはどう理解したらいいのですか?」
佐藤氏
「負けた場合、グレートリセットですね。それまで良かった人達が没落しますので、占領軍ははっきり公職追放をやっていますから。勝っても負けても戦争というのは、社会の仕切り直しを伴います」
島田キャスター
「古市さんは、ここまでをどう受け止めますか?」
古市氏
「確かに、戦争ができるようになると、どうしても1945年を境に日本が生まれ変わったという議論になりがちだと思いますけれど、日本において全くそんなことはないと思うんですね。実際、現在の様々な社会制度というものは、戦争中にできています。たとえば、年金もそうですし、様々な社会保障制度、源泉徴収もそうですよね。様々な福祉というものも、戦争と共にどんどん充実していった。だから、まさに戦争を断絶したものとして考えるのではなくて、連続した歴史の中の1個として考えた方がしっくりするというのはその通りだと思いました」
反町キャスター
「戦争は勝った場合には分け前の分配、負けた場合はグレートリセットだと。戦争を契機に大きな社会的な変革がそこここで行われて、場合によっては民主主義が産む、格差が是正されるという、この分析はいかがですか?」
古市氏
「日本の場合はアジア太平洋戦争に関して難しいと思っていて、つまり、日本は確かに敗戦国ではあるけれども、アメリカに賠償金を払うどころか、アメリカから様々な形で恩恵を受けている。お金も貰っている。かつ世界銀行からいろんな借款も受けている中で、人間論で語るのが、たまたま日本の太平洋戦争の場合は、事例として難しいのではないかなということは思いました」

日本人の国防意識
島田キャスター
「数年に1回、世界60か国を対象として世界価値観調査というものが行われるのですが、質問が『もし戦争が起ったら国のために戦うか』という2005年のデータですが、各国ありますけれど、戦うと答えた人が、日本は15.1%。圧倒的に低いわけですよね。戦わないと答える人が46.44%。わからないという人も多いと。積極的に戦いたいという人は15%しかいないのですが、日本人の国のために戦う意識の低さというのはどこからきていると思われますか?」
佐藤氏
「まずこの数字は、国際比較をすれば低いです、確かに。しかし、本当にこれは低い数字でしょうか。つまり、1億3000万人、日本人の人口はいます。15.1%で、約2000万人です。2000万人という人がいざ戦争をやる気持ちがあるわけです。これは相当なものでして、2000万人もいらないと。2000万人戦う気力のある人がいるというのは十分な数字ではないでしょうか」
反町キャスター
「ただ、意識調査として捉えた場合、自分の所属しているコミュニティ、ないしは自分がいる国家に対して、自分がどのくらいの権利、義務の意識で、どのくらいの義務を果たすつもりでいるのか。義務を果たすというような兵役に就くということは、たぶん自分の命を捧げるということですから、最も高い義務を果たすことになると思うんですが、この意識の形を、意識の割合15%と見た時に、日本のそういう組織、国に対する帰属意識、義務と権利のバランスというのをどう見ますか?」
佐藤氏
「これは、近代に入って、いわゆる国民国家というのができまして、それ以来、いやしくもある国の国民であれば、その国のために忠誠を誓い、いざという時には戦うのは当たり前だと、特に男は、というのが常識として確立されましたが、歴史的に見れば、軍人でない人々には2種類いたわけですね。それが市民(Citizen)と民間人(Civilian)。現在の日本では、市民と民間人、事実上ごっちゃになって使われる場合が多いのですが、本来の意味は全く違います。語源的に言えば市民というのは内輪の人間です。内輪の人間というのはどういう意味か。要するに、法律をつくる過程に参加できる。政治参加の権利があるわけです。その代わり、市民というのはいざとなったら、武器を取って立ち上がらなければならないわけです。市民というのは武装するのです。民間人とCivilianというのは、語源的に言えば、民法、シビルローと言われるものに従う人々です。この民法の反対側は軍法ですね。マーシャルローです。ですから、民間人というのは民法、市民の決めた法律に従う義務はある。ただし、この法律の制定に参加できるか(といえば)できません」
島田キャスター
「政治参加をしない人?」
佐藤氏
「そうです。しかし、彼らは内輪の人間ではないわけですから、いざという時にじゃあ国を守るために立ち上がる義務はあるかと。それはそれでないわけです。アメリカで言えば、市民権を持っている人、持っていなくて永住権を持っている人がいっぱいいるわけです。アメリカで住んでいるけれども政治参加の権利がないわけですね」
反町キャスター
「アメリカで言うと、市民権と永住権の違いだという言い方でよろしいのですか?」
佐藤氏
「アメリカの場合はそうだと思います」
島田キャスター
「これはどちらが良いとか、悪いというのはあるのですか?」
佐藤氏
「私は伝統的な考え方で言えば、市民が一等上みたいな発想があると思います。何と言っても内輪ですから」
島田キャスター
「いろいろ決める権利を持っている形」
佐藤氏
「そうです。しかし、有事の際に国に貢献するだけが能ではないと。有事の際は、戦う気はないけれど、平和の時に社会や国家に貢献できる人達はいっぱいいるわけでして、国家の立場にしてみれば、市民を民間人よりある程度優遇することはあって然るべきだと思います。いざという時に守るために協力するわけですから。ただ、民間人のままでいいという人を特に差別する理由はないと思いますね」
反町キャスター
「市民と民間人の区別ですが、市民には兵役の義務があったり、参政権が認められていると。民間は法で一定の権利を保護されているけれども、兵役の義務や参政権はないんじゃないか。兵役と参政権だけでわけるかどうか、ある意味ソサエティに対する義務を果たすかどうかというところで、線引きのあるような印象だと僕は思っているのですが、この分け方はいかがですか?」
古市氏
「日本だとしっくりこないですよね。つまり、お任せ民主主義といわれますが、もちろん、兵役はない。参政権はありますけれども、その投票率がどんどん下がっている中でなかなか市民、民間人を日本で分けるのは相当難しい気がするのかなと思いました」
反町キャスター
「区別をした方がいいのか、しない方がいいのか。どう感じますか?」
佐藤氏
「私は個人的にはした方がいいと思います」
反町キャスター
「日本でも?」
佐藤氏
「そうです。区別しないと市民が割りを食うわけです。つまり、国のためにいざという時に戦う意志があるのは大変なことですから。しかし、そういう過去を持っていて、見返りが何もないとなると、これは持ち出しで国に貢献するということになる。それではちょっと市民が割りを食って、かわいそうだろうと。これは別に民間人が良くないのではないんです。人間と国との関わり合い方に2パターンあってもいいではないか。どこまで深く関わりますかということです。市民を選ぶも良し、民間人を選ぶも良しですが、市民を選んだ人には、これは国家存立だとか、いざ危機的な状況には非常に貢献してくれるということですから、政府として何か見返りは用意されるべきではないかと」
島田キャスター
「それは金銭面なり、何なりという」
佐藤氏
「そうです」
反町キャスター
「それは参政権だったりするわけですよね」
佐藤氏
「昔の古典的な形で、参政権、政治参加の権利ですが、現在これは皆に保障するのが当たり前になっていますから、税制面で優遇してもいいかもしれませんね」
島田キャスター
「民間人は現在、参政権が保障されているから、それについては区別はつけられないということですか?」
佐藤氏
「今さら制限を加えるといったら大変かもしれませんけどね」
古市氏
「これは自衛隊が現在日本では存在していますので、自衛隊と民間人で区別だけではダメなのですか?」
佐藤氏
「その場合、一般の国民が自衛隊をどうやってサポートするかという問題なわけですよね。この両者と対極にあるのは職業軍人です。自衛隊はだいたい職業軍人の集まりですね。しかし、職業軍人との対比の概念において、単に職業軍人でなければ民間人ですと括っていいのかと。民間人の中に、特に国というものに対して深くコミットするという人と、そこまで深くコミットしたくないという人の2種類いると考えて、それは区別した方が、社会というのは円滑に機能するのではないかという話です」
島田キャスター
「行き来というのか、最近いろいろなことが気になってきたから市民になって自分も国を守ろうというような、この行き来というのは」
佐藤氏
「当然切り替えがあって構わないと思いますね」
反町キャスター
「ただ、議論されている集団的自衛権ということに対しての姿勢、参政権とリンクするのかもしれませんけれども、市民には集団的自衛権に対しての意見表明は、当然自らの国に対する権利義務関係と表裏一体の話ですから、そこまで踏み込まざるを得ないけれども、民間人がこの件に関して発言をする権利を認めるべきなのか、認めなくていいのか。その議論になりませんか?」
佐藤氏
「言論の自由は、当然自由に認めるべきであって、然るべきだと思いますね」
反町キャスター
「そこは参政権になっちゃうんですね」
佐藤氏
「立法過程の参加ですから」
古市氏
「そこで、難しいのは女性、老人、障害者。つまり、弱者を市民に組み込むべきか。その市民になりたい弱者はどうしたらいいのですか」
佐藤氏
「それは市民へ貢献するかどうかですね。その場合は」
反町キャスター
「それは、いざとなったら、自分が鉄砲を担いでいくことが全て市民の条件ということでは全然ない?」
佐藤氏
「ないと思います」
反町キャスター
「要するに、自分が犠牲をある程度払っても、国家のために何かをする覚悟があるのかどうか。市民と民間人の違いみたいになってきますか?」
佐藤氏
「そうだと思います」
古市氏
「それは気持ちだということですか。その線引きは」
佐藤氏
「気持ちだけではないでしょう。つまり、別に戦争というのは、実戦部隊だけで成立するわけではありません。後方支援が必ず必要になります。これは別に女性でも老人でもできるわけです。そう考えた時に結局そこまで国にコミットする気があるのかどうか。意思と能力があるのかどうかですね」

集団的自衛権
反町キャスター
「戦争放棄する平和国家、戦争ができるのだけれどもやらない国家ではなくて、戦争を放棄するという平和国家足り得た70年間、日本はそういう国家足り得たという前提に立った場合、なぜ日本はそういう国家足り得たのですか」
佐藤氏
「アメリカがいたからですよね、それは。アメリカの軍事力に依存したからです」
反町キャスター
「そういうことですよね。と言うことは、現在の集団的自衛権、これは安全保障条約の片務性、日本にトラブルがあったらアメリカが守ってくれるという。でも、日本は基地提供の義務を果たすだけという片務性を集団的自衛権容認によって、少しこのバランスを双務性に変えていこうじゃないかという流れの中で、集団的自衛権、ないしは日本が双務性に対し、日米の安全保障関係を変えていくということは、日本が今言われた、アメリカがいるからこその平和国家から、普通の国家に変わっていく過程になりますよね」
佐藤氏
「そうですね」
反町キャスター
「それは日本がこれまでの、いわゆる平和国家から変わっていくことになるのではないのですか?」
佐藤氏
「そうです。実は日本が本当に平和国家になるには、戦争ができるようにした方がいいわけです。そういう意味では」
反町キャスター
「それはどういう意味なのですか?戦争をしないと、本当の平和国家になれない。結果的にこれまでの平和国家と違う国になっていくということになるわけですよね」
佐藤氏
「そうですね」
島田キャスター
「では、これまでは何だったのですか?」
佐藤氏
「戦争不能国家と呼びたい。戦争ができない国。戦争をしない国ではなく、戦争ができない国」
島田キャスター
「私達はそれを選んできたのではないのですか、平和というものを」
佐藤氏
「それは最初の敗戦直後の世代が、あるいは日本国憲法を制定することで、あれも占領軍の押しつけであって、しかしそれを選びとったという議論は可能です。しかし、国際情勢がこれだけどんどん変わっていくという本質的な性格を持っていると。しかも、戦争というものが人間にとって結局のところなくすことができないことである時に、ある世代の判断が下の世代を代々縛っていいのかと。この選択は世代ごとになされるべきものと思います」
反町キャスター
「このアジアの地域において、戦争不能国家が平和国家を名乗っていることによって地域の安全保障にとってはマイナスになるのですか?それともプラスとして、これまでアジアの平和を保ってきたのですか。どう考えますか?」
佐藤氏
「それも周囲の状況次第です。アメリカがまず1つに東西冷戦という形で、アメリカを中心とする自由主義諸国と、ソ連を中心とする社会主義諸国という形で、きれいに線が引かれていて、かつアメリカの軍事的なプレゼンスが十分強ければ、ここに戦争不能国家が1個あっても、それでパワーバランスが崩れることはなく、むしろ、日本が勝手に行動しないということが全体的にはシステムの安定化に貢献したかもしれず、結果的にはプラスだったかもしれません。しかし、アメリカが以前ほどには世界中の安全保障の紛争管理にコミットする姿勢をなくしつつある時に、また冷戦が終わり、社会主義陣営というのは1枚岩でもなくなって、かつ中国が進出してきた時に、ここでとにかく戦争がしたいのか、したくないのか、わからないけれども、とにかくできませんという国があるということは本当にシステムの安定化に貢献するか。それは別の話だと思いますね」
反町キャスター
「古市さん、今の話はいかがですか?」
古市氏
「こんな調査があります。日本国民の8割ぐらいは絶対に戦争をしてはいけないと答えている。一方で、アメリカで同じような質問を聞くと絶対に戦争をしてはいけないと答えるのが、本当に一部であって、ほとんどの人が戦争はいけないものではあるけれども、しなくてはいけない場合もある。たぶんこれは確かに世界的に見たら、正常だといわれる価値観だと思うんですね。ただ、日本の、この戦争は絶対悪であるという、非軍事であるということが、確かに異常ではあるけれど、果たしてそれを手放すべきものなのかということは思うんです。しかも、このような価値観がマジョリティの中で、無理やり日本を、正常な国家にしようとした時に、いろんな反発が起こると思うんです。それは、1年や2年でできるものではないという懸念はあります」
反町キャスター
「たとえば、地域の状況がかつてのようにアメリカの力が絶対的に低下してきて、ここに戦争不能国家が存在することが、地域の不安定要因になるかもしれないという、佐藤さんの分析はいかがですか?」
古市氏
「長期的に見たらそうなっていくとは思うんですね。ただ、それで日本がたぶん、もしかしたら、東アジアの安全保障をアメリカの代わりに担う時代がくるかもしれない。その時になったら、日本も確かに姿を変えていかなくてはならないというのが現状認識としては、まさにその通りですね。ただ、このような憲法9条を変えるという議論をこの1年、2年でしてしまうということに対しての危機感を僕は抱いています」
反町キャスター
「それはただ単にテンポの問題ですか?」
古市氏
「テンポの問題です」
反町キャスター
「必要性を認めるけれど、もうちょっとゆっくりやろうということですか?」
古市氏
「現状認識としては確かにおっしゃることはすごくわかるんです。ただこの1年、2年でやっちゃうと、逆に日本が憲法9条を変えますと。そうしたことが中韓にネガティブなインパクトを与えるわけではないですか、そのことの懸念をまず考えてしまいますね」
島田キャスター
「何年ぐらいだったらいいですか。つまり、戦後ずっと憲法を変えたいと言っている政権もあったりして、ずっと言っているんです。何年ぐらいだったら、古市さんのような考え方の方が納得するというか、どういう状況になったらいいのでしょうか」
古市氏
「状況としては、たぶん日本は、よりもっとリベラルな政権で、かつ中国、韓国と関係がうまくいっている時だったら、憲法を変えられると思うんです。ただ、現在は、変えられるタイミングや政権としての状況はあまり良くないと思ってしまいます」

日本が抱える矛盾とは つじつまの合わない物語
島田キャスター
「『ツジツマの合わない物語』というのは何のことを言っているのですか」
佐藤氏
「国の基本的な在り方というのは、だいたい物語の形をとるわけですね。我々は現在こういう方向に向けて進んでいる。達成すべき目標はこういうものであると。現在、こういうふうに進んでいけばだいたい何年ぐらいかけて達成できると、だいたいそういう物語が国民の間に共有されている時が、国が一番うまく機能するわけですが、明治以降の日本とはどういう国か。国の在り方を巡る物語のつじつまが十分あっていなかったのではないかと。つまり、近代の日本というのは幕末にペリーの艦隊が来航して開国するところから始まるわけですが、矛盾した方向性があったわけですね。つまり、最初に開国の時も、最初に開国、そのうち攘夷と言ったわけです。つまり、外国船を追っ払いたいのだけど、勝てないからいずれ西洋を追い払うためにも一度は西洋を学ばなければいけない。これは吉田松陰が言ったことで『先開国後攘夷』と言ったわけです。結局、攘夷派が受け継いで明治維新のあとも流れていくわけですが、考えてみれば外国を追い払うために、まず外国から学ぶということが矛盾しているわけですね。しかも、それで文明開化し、西洋の文明を学んで近代国家をつくると。富国強兵はいいとして結局、日本はどういう国になりたいのですかと。2つの考え方があるわけですね。1つはどんどん西洋化してきて、近代化して欧米列強の仲間入りをするのではないかという発想と、あるいは欧米列強と対抗するのかと。前者は脱亜入欧で、後者はアジア主義ですね。ですから、現実問題、欧米とアジアを比べれば欧米の方がワンランク上なのは決まっているわけです。そういう時に遅れて日本がアジアで唯一近代化をどんどん進めて行く時に、思い切ってアジアを切っちゃって欧米の仲間入りをしたいというのは心情的には非常によく理解できる話です。しかし、日本の開国がもともと『先開国後攘夷』の目的の下に行われたとするなら、それも矛盾しているわけですね。しかし、日本が富国強兵で強くなって、欧米勢力に立ち向かう方向にいくとしても、それを達成するには、どうしたらいいかと。まずは欧米化を徹底的にしなければいけない。強くならなければ始まりませんから。と言うわけでどちらに転んでも近代日本の物語には最初から矛盾が含まれている。最初の始めのうちはこの矛盾が表面にそれほど極端に出てこなかったから日本はうまくいったと思うわけですが、昭和初期に入ると世界恐慌が起こり、欧米の方がブロック経済をやってしまって、欧米の一員になるなんて夢が潰えちゃったわけですね。それまで矛盾があったのだけど、あまり自覚せずに済んできた。その矛盾に直面させられた時にどうするか。それが結局中国大陸への本格的進出になったのではないかと思います」
古市氏
「最近のTPPの議論を見ていても、そこが変わらないなという気がしたんですね。ただズレとか、つじつまの合わないことに対して、歴史の当事者達はそれに気づいていたのですか?それともわからないまま結局瞑想してしまったのか。どう見ていますか?」
佐藤氏
「人によって違うと思いますね。しかし、気がついていたとしても止められたかどうかですね」
島田キャスター
「つじつまが必ずしもあっていないと、ゴールに向かえないということですよね。つまり、人間は白か黒かではなく、いろんなところでつじつまをちょっとずつあわせながら進むことがありますよね。そういうふうにはできなかったわけですか?」
佐藤氏
「あっているうちはいいわけです。ただ、あまりに矛盾が多くなって、つじつまがあわなくなってくると何をしていいかわからなくなるので、さすがにゴールには辿り着けないでしょう」
島田キャスター
「それがあまりにも大きくなったのは、たとえば、戦争中のどのあたりからだったのですか?」
佐藤氏
「まさに日本が真珠湾攻撃をやって、日本の言い方だと大東亜戦争ですね、これを布告した時の戦争目的からして分裂しているわけです。一方で、自尊自衛の戦争である。守りですね。欧米列強が石油禁輸措置をやって日本をいじめにかかっているから、日本は仕方なくやっているのであると。その一方で、アジアの解放である。どちらにもそれなりの根拠はあります。しかし、自尊自衛の戦争は守りの戦争です。アジアの植民地解放とは攻めの戦争です。守るか攻めるかどちらがメインか。戦争をやるとなったらそれは決めておかなければいけないのではないでしょうか」
反町キャスター
「明治維新以来、日本の国家運営の共通項目に常にそういったつじつまのあわないストーリーがずっと起き続けていて、それが時に判断を誤らせる原因になってしまったということですか?」
佐藤氏
「私はそう思っています」
古市氏
「つじつまが150年以上あってこなかったというわけですね。その中で憲法9条を変える、憲法前文を変えるということがまさにつじつま合わせだと思うんですけれども、150年間以上あってこなかったつじつまが果たしてここであうか。そこの疑問がまた湧いてきたのですが」
佐藤氏
「100%あわせるのは明らかに不可能。だから、あっていなくていいんだと開き直るわけにもいかないでしょうね。となると少しずつつじつまの合わないところを減らすという努力をしていって然るべきではないでしょうか?」

日本人と戦争の記憶 風化させないためには
島田キャスター
「今後も戦争を経験した方というのは確実に減っていく中で、古市さんは世界の戦争記念館、博物館を取材されてきたのですが、いかにして戦争の記憶を後世に残しておくかという課題があると思うのですが、この点についてはいかがですか?」
古市氏
「世界の博物館を巡る中で日本の特殊性に気づいたんです。日本には国立の戦争博物館がないですね。かつ国立歴史博物館というのも1983年までなかったんです。それができたのも千葉の佐倉市という場所で東京ではない。しかも、現代史の展示にいたっては2010年までなかった。つまり、つじつまがあわない過去を直視したくなかった。ようやく2010年に現代史ができて戦争のことも展示されるようになったのですが、非常にシンプルです。ただ起きたことが年表に書いてあるだけ。かつ論争的な沖縄戦とかに関しては資料が置いてあってご自由にお考えくださいという形。自分達でどういう歴史観を持っているかということを国家が表明してこなかった国です。日本の戦後史そのものだと思うんです。つまり、東京裁判、サンフランシスコ講和条約で東京裁判史観を対外的には受け入れたにもかかわらず、国内においては与党の政治家であっても、それに反するような言動をしてもいいし、時には推奨されてきた。ずっとダブルスタンダードでつじつまがあわないまま、やってきた国だったんです。だから、そういう国の中で記憶をいかに残しておくかというのは非常に難しい問題で、個人が伝えることはできると思うんですが、ただ、国家としてどう残しましょうというのは、もはや無理だと思うんです。戦争はこうあるものですと、たとえば、ドイツのように戦後すぐに、戦争とはこういうものでしたと決めてしまって、それに反する言動は一切ダメですよと認めることができたと思うんです。でも日本は戦後70年近くずっと曖昧なまま、ダブルスタンダードでやってきた国だと思うんです。だから、総括はもはや無理で本当に1人1人の戦争記憶の口伝えとかにかかってくると思っていて、国家として戦争をちゃんと伝えていくことはある程度諦めた方がいいと思っています」
佐藤氏
「ただ、曖昧さを多少解決するのに役立つ手がないわけではない。戦前と戦後の境界線を引き直すということです。普通我々は1945年8月15日をもって戦前なるものが終わり、戦後なるものが始まったと理解していますが、実は国際法的には戦争というのは講和条約が発効するまでずっと続くんです。つまり、太平洋戦争は10年続いているんです。1952年4月27日までは戦争です。と言うことは、占領中マッカーサーは折にふれ、声明でそうはっきり言っているわけですね。厳密に言えば、日本と連合国は戦争状態だよと、はっきり宣言しているわけです。ですから、戦争の記録を残すのは大賛成ですが、それには占領の記録も是非入れていただきたい。占領はポツダム宣言の条文を読めばわかりますが、戦争の最終段階です。1945年8月にポツダム宣言を日本が受諾して、降伏した意味というのは、連合国の占領によって国内を創り替えるという形でこの戦争を終わらせますということに合意したということです。ですから、戦争はあの時点では終わっていないわけです。ですから、よく保守とか、右寄りの人が占領中、アメリカは日本を骨抜きにしようとしたと言いますが、私に言わせれば当たり前ではないですか、そんなことは。まだ戦争中です。日本は敵、捕虜です。わざわざ相手の力になろうとするわけがないです、それは」

作家 評論家 佐藤健志氏の提言:『戦前と戦後に筋を通す』
佐藤氏
「実は日本では戦後は右と言われる人も左と言われる人も、これはできていないわけです。一方で、戦前はとにかく悪い時代で、戦後は良い時代だという意見があって、もう一方で戦前が良い時代で、戦後はどんどん悪かった、堕落したという議論があります。しかし、国民がある一点を境に非常に良くなった、あるいは非常にダメになったというのはあり得ません。ですから、これは両方ともものごとを半分しか見ていない議論であって、それがずっと続いてきたのが、現在の混乱を生み出したのではないかと思うわけでして、ですから、日本の戦後はいつまで続いていたかという議論もそうですが、一度戦前と戦後の関係に正しく筋を通そうと。そうやって過去を整理しておくのが未来に進むにつれて、一番有効なのではないかと思います」

社会学者 古市憲寿氏の提言:『ズレの認識』
古市氏
「日本にはいろんなズレがあって、今日もズレを再確認するような時間だったと思うんですね。だから、僕はそのズレを無理やり直そうとは思わないんですけれど、戦前と戦後、右派と左派、まず何がズレているかということをちゃんと認識するだけでも一歩進むと思うんですね。だから、筋を通すとまで言っちゃうとさすがに大混乱が起こるから、まずはそのズレの認識ぐらいしたらどうか。戦争に限らずあらゆることに思うことです」