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2014年5月2日(金)
立憲主義とは何なのか 憲法論を議論する

ゲスト

磯崎陽輔
首相補佐官 自由民主党憲法改正推進本部事務局長 参議院議員
石川健治
東京大学法学部教授
飯尾潤
政策研究大学院大学教授

いま憲法とどう向き合うか 立憲デモクラシーの会とは
佐々木キャスター
「まずは立憲デモクラシーの会のメンバー構成を見ていきたいと思うんです。共同代表を務めているのは、奥平康弘東京大学名誉教授と山口二郎法政大学教授の2人ですが、注目すべき特徴としては憲法学、政治学の学著な方はもちろん、宇宙物理学者、物理学者などを様々なジャンルの方を含めて50人がいらっしゃいます」
石川教授
「これは非常に幅の広い問題ですので、従って別に専門家でなくたって、いろんな方がご自身の意見を言っていただけるのではないかということで、広報したところ、どんどん人が集まってきてという感じです」
反町キャスター
「最大公約数は何ですか?」
石川教授
「最大公約数は、デモクラシーの形ですね。安倍さんは、自分達が、民主的にやっているんだとおっしゃっているんですけれども、そういう民主主義でいいのだろうか。そういうデモクラシーでいいのだろうかという。非常に緩やかに、その点に疑問を持っている人達が集まっていると考えていただければと思います。おそらく、大きなきっかけになったのは、昨年の特定秘密保護法を巡る、一連の動きですが、これについても、全員が反対だということはないんですよ。私は反対の署名をしていませんし、インテリジェンス機能を強化すること自体決して否定的ではないわけですけれども、ただ、あそこでなぜ皆が怒ったのだろうか。その何かというのを捕まえてみようというのが、立憲デモクラシーという合言葉だと」
反町キャスター
「何だと思っているのですか?」
石川教授
「そこに至る手続きであるとか、あるいは決定の形ですね。より基本的な部分において問題があったのではないかと。ですから、特定秘密保護法反対ということであれば、署名しないけれど、しかし、あそこで本当に問題があったのは立憲デモクラシーの危機だったのではないかと」
佐々木キャスター
「立憲デモクラシーの危機というところ、具体的には何なのでしょうか?」
石川教授
「これは、1つの例え話として申しますと、これは宮澤俊義という東大の憲法の随分前の先生がおっしゃった、例え話なのですけれども、酒のみの話というのがあって、現在で言う一気飲みです。一気飲みの強制は民主的かとエッセイを書いておられるんですよ。一気飲みというのは全員で、多数決で、場合によっては1人除いて飲めと言っているわけですよ。これは果たして民主的なのか。多数決が民主的だったら、十分民主的決定なわけですよね。だけど、宮澤先生は、これは民主的でないとおっしゃったんですよ。この決定には自由がない。一気飲みを拒否する自由がない。自由の入っていない民主主義は、民主主義ではない。だから、これは反民主主義的だとおっしゃったんですね。これはあくまで例え話なのですが、具体的に歴史的なプロセスの中で、念頭においているのは、たとえば、ナチスが登場した時、自分達はデモクラシーだと言ったわけですよ。確かに、民主的な側面がないわけではない。議会を通じて立ち上がってきた。選挙によって選ばれた。だけれども、そこには自由がない。自由がない民主主義は、民主主義ではないと。だから、彼らは民主主義ではなく、民主制の扮装をしているだけだと。要するに、変装をしているだけだと。民主制の紛争だと。そういうふうに言って、ナチスを批判されたわけですね。この民主主義の考え方というのが、戦後の日本国憲法の中に流れていると考えるわけですね。そうすると、そういう日本国憲法が想定する、いわば、一気飲みは拒否できる。拒否できる自由がなければ、その決定は民主的ではない。多数決は常に、民主的とは限らない。この考え方が日本国憲法の民主主義だとすれば、現在の政権運営は民主的だとは言えないのではないか。そういうことですよね。いろいろな民主主義論があって、たとえば、安倍さんのような民主主義も、民主主義論が成り立つんですよ。ナチスも民主主義だと言っているわけだし、いろんな民主主義論があると。その中で我々が大事だと思う民主主義というのはいろいろ暴走しないように、ブレーキも付いているし、それから、自由も確保されている。そのうえでの民主主義なのではないかなと考えたわけですね。そういうゆるやかなイメージで、皆集まったと考えていただければと思うんです。だから、いろんな民主主義はあるけれども、立憲主義的な民主主義と、つまり、権利も保障されていて、権力分流もあって暴走はしない。そういう民主主義が日本国憲法の用意した我々の民主主義ではないのかなと。そういう意味だと考えています」
反町キャスター
「立憲デモクラシーの会というのは手続き論?」
石川教授
「大雑把にいえば、そういうことでして、そこから何が出て来るかというのは、これは皆バラバラです」

民主主義と立憲主義
反町キャスター
「この会にも護憲、改憲が混ざっていますよね」
石川教授
「はい。小林節先生というのは20年ちょっと前に、憲法を守って国滅ぶという本を出しておられるんです」
反町キャスター
「この番組にもお迎えしましたけれども、小林さんは、その意味でいうと、憲法改正を堂々とやるべきだというお話を、我々は聞いた気がします。小林さんは、解釈改憲という形は、確か姑息だと。そういう方と石川さんも同じグループで、安倍政権の現在の手法に問題があるのではないかと。こう指摘をされているということでよろしいですか?」
石川教授
「そういうことです。ですから、あるところでやった例え話を繰り返しますとこの立憲デモクラシーは適切な言い方かどうかはわかりませんが、我々が称しているものはこうやって、民主的な決定が暴走しないように、いろいろな、その権利を絡みあわせていくんですよね。三権分立というのは、まさに3つの権利を絡みあわせるわけですけれども、どんどん絡みあわせていく。もつれた統治システムをつくると。そのことによって、ブレーキがかかるようにする、と言うことなのですが、確かに、これは場合によっては、ブレーキが効きすぎるということはあるし、それから、苛立つ人も出てくるわけですよ。スピード感と言えば美しいですけれど。要するに、イライラしている。だいたい具体的な顔を浮かべると皆さん割とイラチな人が多いでしょう。誰とは申しませんけれども」
反町キャスター
「でも、野党だって、イライラする顔多いですよ。政治家、だいたい、イライラしていますからね」
石川教授
「多いです。そのイラチな人に対してイライラしないでもつれた糸を1つ1つ丁寧にほぐしていきましょうというのが、我々の考え方。ほぐした結果、何が出てくるかは皆それぞれ違う意味がある。小林さんも違うことを言っているし。ですから、とにかく丁寧にやろうと。ところが、現在それを無理やり引きちぎろうとしていないか。そこだと思います」

”最高責任者は私”発言は
佐々木キャスター
「さて、安倍政権の憲法観を浮き彫りにしたとされているのが、安倍総理の発言です。集団的自衛権の行使容認を議論する中で出たものです。『憲法解釈の最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、そのうえで私達は選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ』というこの発言。非常に波紋を広げました。この発言をどのように受け止めていますか」
石川教授
「地金が出たっていう側面はどうですか。私は存じあげないから、わからないのですが。ないことではないのではないでしょうかね」
反町キャスター
「それは、どういうような印象になって、頭に入ってくるものですか。その地金というのは」
石川教授
「つまり、すごくシンプルに、シンプルにデモクラシーというのを、お考えのような印象を受けますね。要するに、自分が選ばれたんだと。自分が民意を背負っているんだと。だから、その自分が責任を持って、全てを決めるんだという。それはそれとしてシンプルには一貫した議論をされているわけなのですが、そこに落とし穴がないのだろうかという話だと思いますね。その落とし穴に気がついている方はもっと慎重におっしゃると思うんですが、正直におっしゃったんじゃないかなと思います」

憲法の番人を担うのは
反町キャスター
「ここで総理が質問に答えていたのは、ポイントとしては、憲法の番人というのは、司法がやるものなのか、ないしは法制局がやるべきものなのか。そこの位置づけというのはどちらが役割を果たすべきだと考えますか?」
石川教授
「裁判所というのは、裁判所としてできている。当たり前のことですけれども。裁判所としてできあがっていますので必ずしも憲法問題について意見を言うようには当初からできていないわけです。その裁判所が仕事の延長線上で憲法に適合しているかどうかという仕事をする。こういう流れなわけです。これがアメリカ、あるいは日本の裁判所がやってきた違憲審査の在り方であるわけですね。このやり方でいくと事件が出てこないと判断はできないし、どんな憲法問題にも責任を持って、自分達が判断できる体制にあるとは思わないということが、まずあるわけですね。ない袖は振れないということ。いったんやり始めるともうちょっとやってほしいという、役割期待というんでしょうか。社会から期待がかかってくるわけです。それでだんだん答え始めるというのがあるわけです。たとえば、磯崎さんにはちょっと厳しい話かもしれませんけれども、議員定数の話がありますね。議員定数の再配分の問題というのは、これは本当は議会がやるようにできているわけですね。だけれども、ちゃんとやらないということがあって裁判所が社会の期待に応えて、極めて熱心に取り組むようになっています。それは反対意見を書くような裁判官が熱心なのではなくて、最高裁判所の中枢中の中枢を走ってきたエリート中のエリートが最も熱心なんですよね。そこまで熱心になるというのは、その面では自分達がやらなければという役割期待に、誠実に応えようとしている。そうやって少しずつ、少しずつ期待に応えようとし始めているわけですけれども、全部ができるわけではない。やってもらいたいという人もいるでしょうが、できるわけではないということになると宙ぶらりんになっちゃったよと。役割期待というのがあるとそれを放っておくわけにはいかないのではではないかということになるわけですね。それについてだいたいどこかが期待に応え始める。そういう役割になる。こういう構造の中にあると。その中で、この9条とか、軍事の問題、これについては、裁判所は役割期待には応えられないという判決を出してしまったと。その期待に応えざるを得なかったのが内閣法制局という流れになってきているといわけですね」
反町キャスター
「たとえば、安全保障とか、大きないわゆる統治行為論と俗に言われているようなところですよね」
石川教授
「そうです」
反町キャスター
「司法が判断を本来示さなくてはいけないところで、司法が判断を放棄したところに内閣法制局がその隙間を埋めるために守備位置を広げてきた。こういう理解でよろしいですか?」
石川教授
「やらざるを得なくなってきたという。統治行為論というのは、裁判所がこういう問題まで出すぎない方がいいという考え方なので、当然やらなければいけないということではないのですが、やらない方が良いという判断で、引っ込んじゃったわけです」
反町キャスター
「やらなくていいというのは、誰が決めたのですか?」
石川教授
「自分で決めたんです」
反町キャスター
「そうですよね」
石川教授
「期待には応えられませんということになったわけです。それについておのずから、この期待に応え始めたのが内閣法制局。だから、なぜ内閣法制局の事務というのは、非常に広範に渡っているのに、なぜか政治的に非難されるのは、だいたい広い意味での9条関係の判断ということになると」

内閣法制局の役割は
反町キャスター
「それは在り方としてはいかがですか。正しいものだと、それは是非をここで論じるべきかどうかも含めて、どう感じますか?」
石川教授
「それは、この重たい仕事にふさわしいだけの責任を、彼らがもともと負っているのかどうかというのが」
反町キャスター
「司法が」
石川教授
「内閣法制局が。そこが問題だろうと思うんですね。そこは内閣法制局も弱点であるということはあるのですが、これはなかなか申しにくいことなんですけれど、明治国家以来の国家の立ち上げから言いますと、明治国家をどうやって立ち上げようかという時に、国家学会というのが、だいたい帝国大学ができた頃に立ちあがるんです。そこには大勢の、これから明治の国家をどうつくっていくかと言いう人達が集まったんですよね。その中で、いわば、自分は学究であるという人が帝国大学に残る。そして自分は実際界でもっとやりたいという人達が官界に出ていくわけです。それが広い意味での法制官僚の伝統をつくっていくわけで、つまり、日本国における危険管理責任者みたいな仕事を自分達が負わなきゃいけないという自覚を持って、官界に入っていくという連綿たる人的伝統があるわけです。内閣よりも前に法制局というのはできましたので、だいたいそういう法制官僚の人達が法制局に拠点を置くわけですね」
反町キャスター
「それは明治憲法の時の話ですよね。もとその前の」
石川教授
「うんと前、明治国家立ち上げぐらいから、実質的にそうなっている」
反町キャスター
「維新の頃からそういう思いがあったという」
石川教授
「そういうのもあると思いますけど。彼らは、彼らというのは法制局に行った法制官僚達というのは、外国に留学して、ドクターとって、主業からいうと学者なんですよね。非常に立派な人達。実力のある人達。その人達が、次から次に法制局の長官をやり、仕事を支えてきたという伝統があるわけです。その伝統が残ったという側面がありますので、だいたいそういう実態は、戦後当初ぐらいで、ひょっとすると少し薄れてしまったかもしれないんですけれども、日本国憲法をつくったあたりまでの、法制局の人達というのは、とてつもない実力の持ち主だったといっていいと思います。いわば、精神的貴族主義みたいなものが法制局の人達には残っていると思いますね。だから、逆に言うと、政治家の方から見ると、非常にアロガントで、貴族、傲慢だと」
反町キャスター
「言うことをきかない?」
石川教授
「貴族的だと思われるかもしれませんけれど、それは無理もないところがあるというわけですね。その彼らが仕事を引き受け始めちゃった」
飯尾教授
「私は内閣法制局が行政内部の法的整合性をとるという、普通の業務については結構なことですが、憲法解釈の責任を負うのはちょっと重荷なのではないかと。法的に言えば、安倍さんの発言はどこも間違っていないわけですね。最後の方はちょっと難しくて、憲法は選挙を超えていますので、選挙に勝ったからといって、憲法は変えられるわけではないですが、しかしながら、基本的にはこういうことであるとすると、ちょっと無理が出てきたので、私自身は、司法の制度を改革してでも、もう少し憲法判断ができるような仕組みにした方が、座りがいいのではないかと。裁判所というのは三審制で、下の方の裁判から上がってきたものばかり扱ってなくて、憲法部みたいなものでもつくって、そういうことを判断した方が、健全かなという気は、私はしているんですね」
佐々木キャスター
「本来は司法がということですね」
飯尾教授
「司法がです。だから、現在の裁判所はちょっと、そういうことをする体制にないので、その改革もしないといけないし、だから、その間ちょっと不安定になるから、そこの議論はしていかないといけない」
反町キャスター
「先ほど、明治の優秀な人材とその意識を持った人達が法制局をずっと司ってきたと、皆思っていたんだけれども、安倍さんは自分の意志を持って、そのトップを変え、つくり、立てました。これは僕らから見ていると、何だ法制局は、総理の意向で決まるんだと。蓋を開けちゃった感がすごくあるんですよ。1回人事を見せてしまった以上、もう元には戻れないのではないですか?」
飯尾教授
「だから言っているんですよ。だから、法制局がこの仕事をやるのはもともと法的には難しいというところがばれてしまったので、そこを何とかするということを考えないといけないですね」
佐々木キャスター
「番人足り得るのか?」
飯尾教授
「と言うことにすると難しいです。制度的にはそこの矛盾があるから、だから、私自身はもう少し最高裁判所が熱心にすべきだと。ただし、それだとちょっと現在の最高裁判所の皆さんは判決を書く専門家ばかりなのでちょっと考え直さないといけないところがあるのですが。その部分が不安定になっていると認識しないといけないのではないですかね」
磯崎議員
「政府は、内閣法制局というところを中心に憲法問題を考える。国会もやっているんです。たとえば、憲法問題があれば、学者の先生方に来てもらって、公聴会とかをやって、どういうご意見かを聞くんです。もちろん、最高裁は、憲法に違憲立法審査権が定められていますから、それを抑制しながらやるというのが、現在の憲法の体制であって、特定のところが全責任を負うというのではなくて、三権がそれぞれ憲法について一生懸命に憲法を守るためにがんばらなきゃいかんというのが、憲法が定めたやり方で、私はそれで基本的には問題ないと思います」
反町キャスター
「ただ、安倍政権のこれまでの運びを見ていると、内閣法制局の突破力、過大に評価している節はないですか」
磯崎議員
「そんなことはなくてこれはきちんと憲法論ですから理屈が通らなければいけませんね。それは現在でも法制局を外して、たとえば、議論をしているわけではなくて、一緒に、政府が一体としているので、その最高責任者は総理だというだけでありまして、きちんと理屈で動かすということは大事だと思いますね」

集団的自衛権行使容認 解釈変更か憲法改正か
反町キャスター
「政府、自民党としては、憲法解釈の変更によって集団的自衛権の容認を可能にするということで決まったと」
磯崎議員
「もちろん、政府と自民党で決まっています。憲法改正というのは将来的に考えていきます。普通の国にしたいというのが自民党としての立場で、政府の立場は新しい解釈も憲法違反でない。憲法違反でないものに憲法改正はないと基本的に考えています」
石川教授
「いったん決めたことを変える手続きとして何もしないで解釈だけをいじって変えるというのは立憲的でない。9条について何かの考え方を変更する時に、9条自体改正の対象ですので、改正するのは9条自体の問題なのですが、そうではなく、9条関連の政府の態度というものを変えるという場合どういう手続きを踏むのがふさわしいかという問題です。9条改正というのは、9条を変えるために改正手続きを使うしかないわけですから、それしかないのですが、それに関する政府の態度を変えるためにどう周りを納得させるのがいいかという問題です。ですから、自動的に改正手続きをとらなくてはいけないということにはならないし、改正手続きというのはもっとも慎重な手続きですから、せめてそれは使った方がいいという答えはできるわけ。ですから、9条改正論とちょっと違って、政府の考え方をここで変える場合にどういう手続きをすれば人々を納得させられるのか。その際に改正手続きを変えるのが一番いいと考えるのであれば、それは9条改正手続きになるだろうと」
反町キャスター
「議論の根本になっているのが内閣法制局の解釈であるなら、安倍政権になって内閣法制局長官が変わったわけですよ。その人は明らかに集団的自衛権の容認に向けては前向きとみられています。その人が指揮する内閣法制局が異なる解釈をする可能性がある。これについてはどのように考えますか?」
石川教授
「これを説明するために自己拘束。自分を拘束する。拘束するというのは義務づけるという意味で、自己義務づけと言ってもいいかもしれません。立憲主義と言うのは、一番根幹にあるのは権力が自分を縛って義務づけるというのがあるんですよ。たとえば、近代国家の権力というのは主権的な権力で、その気になれば誰も刃向かえない権力。その権力が自分を縛って、権利保障をしますよと、あるいは面倒くさい手続きで権力分留して簡単に決まらないようにするのが立憲主義ですよね。ですから、基本にあるのが自己拘束です。たとえば、フランス人権宣言をつくったあとにロベス・ピエールが出てきて、自己拘束を全部解いてしまって、権力分留を捨てちゃって恐怖政治をやるわけですよ。つまり、恐怖政治ができる権力が、自分を縛っているというのが基本です。ただ、自己拘束が生の形で出ることは比較的少なく、三権分留などで権力のコントロールのシステムをつくって、裁判所がそう言っているからという名目で政府は引っ込みましょうというルールになっているわけですね。権力が権力自身を縛るのが根本にある構造で、たとえば、裁判所は軍事・外交関連については引いてしまうわけですよね。審査はしませんよと。そうなると、立憲主義の基礎にある自己拘束が剥き出しの形で出てくるんですよ。政府の憲法解釈というのは、政府が自分自身を縛るという形で決めたものであると。ですから、自己拘束を解くということは大変重大な問題だと受け止める必要がある。ここをしくじると反立憲的であると考えていただく必要がある」
反町キャスター
「小松さんを任命したのは自己拘束を解いたものなのですか?」
磯崎議員
「憲法解釈の変更を議論するため。大事なことは、憲法解釈の変更をしたからと言って何かが変わるものではないんです。何が変わるかというとお役人に新しい解釈の法律を立案してくださいとできるわけです。その法律は国会に提出するわけです。国会で新しい解釈に基づく法律を議論していただくわけですから、国会で憲法に違反していないかということを、時間をかけてじっくり議論してもらう。だから、我々は立憲主義には反しないだろうと。あくまで政府の解釈をした。それは自己拘束であったわけですが、国際情勢の変化を考えなければいけませんし、時代が変わってきたということを考えなければいけません。その中で従来の解釈ではいけないから我々の考える憲法の範囲ではありますけれど、この中で新しい解釈にして、お役人に新しい法律をつくりなさいよと命令をする。命令をしたものを国会に出して議論をする。だから、我々は解釈変更自体が立憲主義に反するということはないと考えています」

日本国憲法における96条の役割とは
佐々木キャスター
「96条の改正が必要だと思われているのですか?」
磯崎議員
「戦後自民党は自主憲法制定と言っていますが、憲法改正ができなかった最大の理由が改正規定が厳しいことですね。世界的に見ても国民投票がある改正手続きで、3分の2というのは世界一厳しい規定であります。憲法改正は、国民のものですから、国民投票をするのですが、国民の意思を活かすためには3分の2は高すぎる。これを過半数に下げていいかどうかは議論が必要ですが、両院で3分の2は高すぎるので、我々自民党の原案はそれぞれ過半数でいいのではないかとしていますが、議論はあると思いますが、変えて、憲法改正をもっと国民の立場でできるようにしたいというのが我々の考え方です」
石川教授
「憲法96条という条文をもっとシリアスに考えてもらいたいというのが、私の立場です。とりあえず手近なところから変えていこうという、この流れになりかけたように見えたわけですね。それは大きな間違いで、この条文を変えてしまったら、日本国憲法が変わってしまうと言っていいくらい非常に重要な条文であると」
反町キャスター
「ハードルが高いということには問題はないのですか?」
石川教授
「ハードルが高いか、低いかではなく、ハードルを動かすこと自体が問題です。この政権の体質がどういうものなのかという、心配している人も多いかと思うのですが、そのあたりの問題ですね。先ほどの自己拘束というのは拘束力としては一番強い義務づけですよ。他人から言われてだったら、見えないところでズルしちゃおうとか、やめちゃうことができるわけですが、自分が自分に義務づけるというのは一番強い義務づけですね。それを守れないというのは極めて深刻だと考えていただいく必要があるてわけで、政府の憲法解釈と言うのは、国民や周辺国、いろんな人に向けて、自分自身をこう縛るんですよと言ってしまったわけです。そうすると、それすら守れない政府というのは信用されないんです。そうならないように危険物管理責任をやったのが内閣法制局ですが、そのトップを挿げ替えてしまったというのは致命的だと思います。これはやらなかった方がよかったと思います。それをやってしまって自己拘束であった憲法をさしたる手続きなしで変えてしまう。こういう政府は何も約束を守ってくれないのではないかという不安感を持たせるわけですよ。そういう流れにあると思います」
飯尾教授
「3分の2というのは、別にこの数があればいいというわけではなくて、多くの国民に聞いてみようという方が本当は好ましい。国には、政権をとっている人もいれば、そうでない人もいる。政権をとっている方は多数派かもしれないけれど、少数派も含めて納得することをした方がいいのではないか。少なくとも国会議員レベルでは大筋の合意でやろうということだから、数がこれでいいかは別として、自分達だけでという態度は危惧を感じてしまう。最初に中身抜きでこれというのはこれまで中身の話をしていたのにどこに行ったのだという話が出てしまうので、ちょっと不安定で、政権側が少し考え直されたというのは健全な姿ではないですか」
反町キャスター
「最初に96条の改正から手をつけるという旗を降ろしたらいかがですか?どこから手をつけるのか、手順を示したらいかがですかということですが」
磯崎議員
「自民党の中で、どこから憲法改正をするかという議論をしたことは実は一度もない。最近の憲法の講演で私が言っているのは、緊急事態が日本の規定にありません。世界中を見ても緊急事態がない憲法は少ないです。そういうところから同意が得られるのではないか。新しい人権や、統治機構の部分は技術的な改正をしなければうまくまわらない部分がある。そういうところを中心に今後議論になると思いますし、自民党としては憲法改正の手続きの改正を一番に考えているという事実はありませんのでご理解いただきたいと思います」

磯崎陽輔 首相補佐官の提言:『徹底議論』
磯崎議員
「今日のテーマは手続きということでした。言葉を代えれば、徹底議論ということだ思います。国会という場が最も大事な場でありますから、そこでこれまでのように単に敵対的議論をするわけではなく、国民のために実りある議論をしていく。それが立憲主義の一番いいところではないかと思いますので、私は議論を尽くしたいと思います」

石川健治 東京大学法学部教授の提言:『他者=contra role 自己拘束』
石川教授
「コントロールと言いますけれども、実は、コントラロールという意味です。コントラロールというのは難しい話になりますけれども、対抗する役割を持った対抗する存在を置くということですよ。それが権力分立とか、そういうことになると。現在の政権運営というのは、コントラロールを潰そうとしていないか。コントラロールを軽んじてはいないかということだと思います。要するに、コントラロールをやっていた法制局を潰し、コントラロールにない安保法制懇でものごとを決めようとし、うるさいことを言い、反対し、ブレーキをかける奴を次から次に潰していくという形で運営している。全体として、他者が見えていない。つまり、コントラロールというのは他者ですが、自分とは違う他者、違う立場がある、違う考え方の人がいるんだという配慮が欠けているのではないか。これも立憲主義の危機と申し上げたい。コントラロールを大事にしてもらいたい。国内で大事にしないと外からくるわけですよね。まずはコントラロールをもっとシリアスに考えて、もう少し大事にすると。他者の声に耳を傾けるということを考えることが、立憲主義に極めて重要な要素だということを最後に申し上げたい」

飯尾潤 政策研究大学院大学教授の提言:『国民的合意による改正と憲法の定着』
飯尾教授
「憲法の議論は難しすぎて、改憲と護憲の距離がありすぎて、なかなか理屈を詰めた議論をしにくい。改正というのは真剣に考えて、改正を訴える方は憲法を認めるということを正面から認めていかないといけないし、逆にいうと、憲法を守るという人達は必要であったら改正もするという態度を示すべきで、具体的な話をする中でもうちょっと地に足の着いた議論で、今日みたいに手続き論だけではなくて、具体的な場面で権力者は自己拘束をするということだし、国民もできるだけ多くの人が納得できるというのが合意点だということを議論していくのが大切ではないでしょうか」