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2014年3月25日(火)
終末期医療と人間の死 尊厳死法案の行方は

ゲスト

鴨下一郎
自由民主党衆議院議員 尊厳死法制化を考える議員連盟副会長
石飛幸三
特別養護老人ホーム「芦花ホーム」医師
川島孝一郎
仙台往診クリニック院長

自分の死にどう向き合う 平穏死の意味とは
八木キャスター
「石飛さんは先週、『家族と迎える平穏死』という本を出しました。この『平穏死』の概念は?どういうことを意味しているのでしょうか?」
石飛氏
「口から食べられなくなる、いずれ。我々も生物体ですから、最後はそういう時が来ます。その時に、食べられなくなったら、たとえば、胃ろうという方法がある。直接胃の中へ。それをやらなければ訴えられるかもしれない。責任をとらされるかもしれない。誰が考えてもこれはおかしいよということなんですよ。皆わかっていた。ところが、実際には、人工呼吸器を取り外したことで訴えられたりして、それが医者の脅迫観念を生んだ。これはおかしいのではないか。弁護士と一緒に相談し、現在のまさに高齢化社会で、刑法をきちんと解釈して、国民のための法律だから、それをそのように運用するべきだということの訴えの旗印となる言葉が『平穏死』なんです。自然の摂理の場合は、いくらそれを科学的な方法で、人工的に伸ばそうとしても、それは本人のためにならないことがある。ならないのだったら、むしろ自然に、そのままで最後を迎えさせた方が本人のためになるんだったら、それはやらないことで訴えられなくていいのではないかと。訴えられるはずがないじゃないかと。そういう決まりをちゃんとしてくれよと。それが『平穏死』という概念をつくったそもそもの理由です」
反町キャスター
「石飛さんが働かれている場所で、当然終末期の方を何人も抱えている。抱えることもあると思うのですが、そういう立場と、そういう状況下において、石飛さんが一番心がけていること、一番大切にされていることは何ですか?」
石飛氏
「9割が認知症です。正確に言えばもっと。本人は決められないわけです。老いて、衰えて、最終章ですよ。そこへもし家族がとにかくこの世に生きていてほしいということになると、これは最終的には、救急車で病院に送るよりしょうがない。病院は管をつけて、時間が来たら、逝かせるようなことをやるわけですよ。だから、そういうことは、本人のために結局はなっていないことですよね。本人は苦しい思いを病院にいてすることになるんだから。胃ろうをつけて帰ってきて特養で家族がとにかくちゃんと入れてください。体が受けつけなくなっているところへ、機械的に入れる装置つけたから入ればいいとなったら、それは人間扱いではないですよ。機械扱いですよ」
反町キャスター
「血縁関係上、近ければ近いほど、強くなるものですか?」
石飛氏
「いや、逆ですね。血縁関係ではなくて、たとえば、長男の嫁さんが一生懸命に姑さんを介護している。そうしたら現実がわかってくる。それは苦労をしています。へとへとになっている。ところが、いよいよ最後に来た時に、それまで介護をしていない小姑が飛行機に乗って飛んできて『何、お姉さん、このまま何もしないで逝かせる気』というパターン。それは現在の超高齢者の、そういう認知症の人の問題行動を起こす人の介護がいかに大変かというのは、経験している人にはわかるけれど、実際関与をしていない人はきれいごとで文句を言って、日頃やっていないことの責任を果たそうとする。これは始末が悪い」
八木キャスター
「同じように現場で立ち会われているお立場として、石飛さんのお話をどのように受け止められましたか?」
川島氏
「今の話から見えてくることは、医者がきちんとどのように人間が老いていくのかという話をしているか、していないかによって、つまり、プロがちゃんとこれから僕達はこんなふうに衰えますよ、それをどういうふうに考えますかという話をしていないことによって、現在の結果が起こっていると。たとえば、食事ひとつにしても、最後まで栄養をいっぱいつけてくれと。これは実はありえない話なんですね。私達日本人が一番元気なのは、15歳から17歳。高校生の時に2500キロカロリーを摂って、一番処理能力も、体力もいいと。でも、亡くなるというのは処理能力ゼロになるんですよ。体力もゼロになる。これが死ぬということなんです。死ぬ間際まで、処理能力もない人に1500キロカロリーも入れるなんてことはある話ではないわけですから、そんなふうに僕達は衰えていくから、処理能力に従って減らしていくのが当たり前の話ですという話をしていないと、石飛さんのようになっちゃう。つまり、家族に十分な説明責任を果たしていないと、家族が何で助けてくれないんだというふうになってしまう。アマチュアの家族に責任を押しつける話ではなくて、プロの医療者の僕達が十分な人間の衰えや、それに対応することの説明がないことによって起っている。つまり、医者の問題なのだということをすり替えていて、法律に任せてしまおうと。そういうふうにどうしても考えてしまうんですね」

終末医療の実態
八木キャスター
「実際に、終末期にどんなことがあるのかということで、末期がんで、食事や呼吸が不自由であるが痛みはなく意識や判断力は健康な時と同じ場合に勧める治療の割合ということで、厚労省による人生の最終段階における医療に関する意識調査の中で、これを勧めるかどうかということを、それぞれ医師と看護師と介護職員に聞いたものですが、意外と末期がんの場合ですけれども、抗生剤の服用や点滴、水を飲めなくなった場合の点滴については多いのですが、それ以外の抗がん剤や放射線治療とか、静脈への栄養、経鼻栄養とか、胃ろうという違った形で栄養を摂ること。また、人工呼吸的の使用とか、心肺蘇生措置とかについては、勧めないという人が多いんですよね」
石飛氏
「実際に、自分の場合だったら管だけになって病院で最後を迎えたくないと、8割の国民が思っていて。ところが、いよいよ親がそうなった場合は救急車を呼んで、病院へ運んで、親は管だらけ。それには救急隊も、救急外来の若い先生達もいったい俺達は何をしているのだろう、これが本当の役割を果たしたことになっているのかと、皆思っているわけですよ。そういう現実の状態がほとんど変わらないで現在も続いている。多くの国民がいずれは自分の番が回ってくるものなのに、そのことを真剣に考えていないというか、その問題を意識していないということの私は裏づけだと思う」
反町キャスター
「医師として勉強したことというのは今言われたようなことではない?」
石飛氏
「かつて私は半世紀、外科の医者として延命治療の権化でしたよ」
反町キャスター
「どこで、それが舵を切ったというか、どこでギアが入ったのか?」
石飛氏
「還暦とは良く言ったものだと思います。人生のターニングポイントが来て、俺もここまで生きたか。このまま飛行機を飛ばし続けなければならないのか。いずれ飛行機は皆着陸するんだ。そこに方法があれば、やらなければいけない。それだけでは話が違うのではないか、この先どうなっていくかと思い特養へ行ってみたわけです。食べられなくなった人に、何が何でも入れなければいけないと。肺炎製造工場をやっていたのだから、それはあとから考えたら、とんでもないことだったわけですよ。誤嚥性肺炎になったら、苦しむから病院に送ると、今度は病院は、15分間でうまい人は胃ろうをつける。1週間で肺炎を治したし、生きてけるようにしたんだから、どうぞ帰ってくださいと。特養は肺炎製造工場であって、病院へ預けたら、今度は胃ろうをつけて帰って来て、また、1500キロカロリー入れなければいけないから、つなぐと入るから、もう受けつけられなくなった体に入れるから、ますます誤嚥性肺炎ですよ。誤嚥性肺炎を防ぐはずであった胃ろうが実はもっと誤嚥性肺炎を…。それはとにかく方法があるのなら、やらなければいけないという、その錯覚ですよ」
八木キャスター
「川島さんは在宅でよく家族と一緒に向き合う時間の多い医療だと思うのですが、全国的に見た場合に、先ほど石飛さんからの問題提起で、患者さんがどんどん来て、なかなかそういう問題と家族も含めて向き合う時間が取れない中で、全体として、もう少し考える機会ということについて、全体で考える機会というのはまだまだ少ないと思いますか?」
川島氏
「まずものごとには順序がありまして、医療は、医者がプロなわけですよ。国民、あるいは患者、家族の皆さんはアマチュアなわけですよ。アマチュアがわかっていないというのは、これはプロにあるまじき言い方で、プロだったらアマチュアがわかっていないのであれば、プロがキチッとアマチュアにわかるような説明を果たして、治療もこういうものがいいんだよと。でも、逆の方法を選べば、たとえば、胃ろうをつければ、こういう問題も起こりますよということをちゃんと話ができるようではないといけないし、家族の人情の話にしたって、いつまでも生きてほしいと思うのが人情で、でも、一方で物理的な体は必ず衰えて朽ちる日が来るわけです。この正反対の2つの問題を、家族が人情だから、それだけでうまくいっていないだというのは、プロの僕達が言うべき言葉ではない。同時に、体は必ず衰えて朽ちるから、その衰え方も示してあげて、人情と科学的な体の衰えの両方をうまくあなたの心の中にバランスよく持っていてくださいよと。ここまで話をすると初めてわかってくださるわけですよ」
八木キャスター
「たとえば、川島さんが向き合っている患者さんで事前に延命治療をあまりしたくないという人とか、家族もそういうことを望んでいないという、あるいは、家族が望んでいるんだけれど、本人はそう望んでいなかったみたいなケースもあったりとかして、話していくうちに変わるということはありますか?」
川島氏
「いっぱいあります」
八木キャスター
「それによって延命措置を施さないようにしようと決断したこともある」
川島氏
「この中で議論をする時に、いくつか大事な、基本的なことがありまして、医療的な技術や手法というのは初めから無理な延命という解釈はついていないんですよ。普通の生き方の技術なわけですよ。私のところでは人工呼吸器をつけて暮らしていらっしゃる人もいるし、胃ろうをつけて暮らしていらっしゃる人もいるわけですよ。その逆も。実は逆の方の方が多いわけですが、胃ろうをつけている人にこの胃ろうは何ですかと聞くと、私にとっては新しい食生活だよと言って、毎日晩酌している人が、私のところでの胃ろうをつけている方の2割から3割いる。それから、人工呼吸器をつけている方に、あなたにとって呼吸器とは何ですかと聞くと、その方は私の心臓が止まるまで呼吸をともにさせてくれている、女房より大事な伴侶だよと。その人達にとってはそういう胃ろうや人工呼吸器という技術ははじめから無理な延命という解釈をつけているわけではないんですね」
八木キャスター
「それは自身で判断できている?」
川島氏
「その話もしなくてはならないんです。つまり、解釈の話もしないと、初めから無理な延命だからという言葉で、石飛先生も、皆さんも、それは無理な延命という言葉を始めから解釈までつけて話をしたら、初めから無理な延命はしたくないねとなるわけです。でも、必要な人もいるわけです。その人がどのように生きるのかで決まってくるわけです」

決めきれない事前の意思表示
八木キャスター
「家族との話し合いについての結果について、人生の最終段階における医療について家族とどのくらい話し合ったことがありますかというアンケートに、全く話し合ったことがないという人は55.9%にのぼっています。また、さらに人生の最終段階における治療方針を定めることを希望する相手として、家族などのうち、自分のことを一番よくわかっている1人というのが34%で、家族などが集まって話し合った結果が44.6%ということで最終判断を家族に託したいという人が78.6%にのぼっている。この結果をどのように受け止めていますか?」
鴨下議員
「家族がきちんとおいでになって、生活をしている人達は、最終的には家族を信頼していますから、最終的な結論は家族に委ねようと。よくわかりますけれども、ただ、独居だったり、家族がおいでにならないような方は、その時々の、触れ合う、たとえば、主治医であったり、ケアをしてくれる人のような人達にお願いするしかないわけですから、必ずしも、このアンケートが全てを代表しているとは、私は読んでいないんですけれども。だから、家族がおいでになる方は、最終的には特に連れ合いですよね。連れ合いに自分の最期を委ねようと。こういうふうに思うのが当たり前のことだと思います」
八木キャスター
「家族の合意形成、事前の必要性ということについてはどんなふうに」
鴨下議員
「なかなかそれは難しいと思います。たとえば、自分の子供、あるいは配偶者、孫、こういうことによってそれぞれ考え方が違いますし、その時々の人が死んでいく、そういうような状況を経験なさっている人と、全くそういうイメージができない人で随分判断が違ってくると思いますよ」
反町キャスター
「石飛さんがいる特別養護老人ホームとちょっと違ったケースだと思うのですが、今回この調査では、要するに、詳しく話し合っている人が3%を欠けているが、話し合うとしたら家族しかいないんだということをどういうふうに感じますか?」
石飛氏
「日本は、先の大戦でたくさんの命を失いましたよ。皆骨身に染みた。しかし、戦後、思わぬ好景気で生活が豊かになって、物質も豊かになって、そういうことを忘れてしまった世界になって、死というものを遠ざけ、しかも、家族も核家族化し、お姑さんと一緒にお嫁さんが暮らすようなことも少なくなって、しかも、最後は病院に預ければいいと。死を現実に見たことがない国民がいっぱい出てきてしまった。そういう土壌が日本には広がってしまったんですよ」
反町キャスター
「この数字は自分の死というものにしっかり向き合おうとしないということに結論づけられる話ですか。目をそむけているのですか?」
川島氏
「それはかなり言えると思います。1980年代の前半にピンピンコロリという思想が、日本体育学会で1983年に初めて提唱されたのです。僕達は、病気や事故にも遭わず、お医者さんにもかからず、元気にいてコロリと死のうと。別の言い方をすれば、いつまでも健康で大往生と。実にこれは日本人の6割以上の人がそう思っているというデータが実はあります。そうすると、直前に自分のこととして受け止めなければならなくなる。いよいよ最期を迎える段階までいつまでも元気でいられると思い違いをするから、まず話する必要はないと考えるだろうと。それが6割はたぶんいるだろうと。ただ、残りの方々は体も衰えてきたし、家族との問題もあるから、ちゃんと話をしないとならないと思いながら、怖くてできない、家族関係がうまくいっていないからできないということもあるでしょうね。ですから、最初のどのくらい話合ったことがありますかということについては話し合ったことがない方が5割を超えてしまうのは、そういうことに起因している可能性がある」

終末期医療を考える
八木キャスター
「実際にピンピンコロリで死ぬ方の割合は?」
川島氏
「東京大学の秋山弘子教授が、20年間に渡って、3年ごとに日本人はどんなふうに衰えていくかということを実態調査した1万1400名の大規模な調査がありまして、これによると、日本人男性の2割は60代で半介助、全介助。半介助というのは車椅子。全介助というのは寝たきりになってから亡くなる。7割方は70代になってから半介助、全介助。女性は9割以上が70歳になってから半介助、全介助になり、亡くなっていく。半介助、全介助になってから亡くなるということはどういうことかというと、障害者になってから亡くなるんです。これは実は日本人の9割以上に達しているということがわかっています」
八木キャスター
「ピンピンコロリと言われるのは、1割以下ということですか?」
川島氏
「たとえば、消防庁の統計では搬送されたうち急死する人は、全死亡者数の4.8%しかいない。つまり、ころりと死ぬのは4.8%しかいない。2日目、3日目、人生長い70歳、80歳の長さから比べたら、この数日をピンピンコロリの中に入れたとして10%以下。そうすると、私達はピンピンコロリで死ぬのではなくて障害を持ちながら最期を迎える。どのように障害を持ちながらも、たとえば、人の名前を出すのは申し訳ないが『五体不満足』の乙武さんのように障害を持ちながらより良い生き方をどのように日本で支えてもらえるかということを考えていかなければならないのが、実はこのデータです」
鴨下議員
「日本は健康寿命が男女共に世界1位です。ですから、70歳ぐらいまでは、皆さん元気でいられるんですけれども、そこから先は川島先生がおっしゃったように何らかの形で病気を抱える。平均余命は男女共に80歳を超え、女性はもっと超えて85歳~88歳ぐらいまで生きるわけですから、その間どのぐらいの障害を抱えて生きられるのかということと、最終盤のところで自分の判断能力もなく、かつ自分で食事も摂れない時に、自分はどうあるべきかということは60歳の後半ぐらいからはいろいろと自分なりに考えておくことが重要です。それは家族と相談、あるいは話し合わないと、最後結果的に自分の意思とは違って、いろんなことがお医者さん、介護の方にされてしまうことが嫌だと思ったら、きちんと意思を持っていかないといけないと思います。事前に言っておく必要もあるし、家族に伝えておく必要もある」

事前指示書の必要性
鴨下議員
「事前指示書をつくることがいいのかどうかというのはあります。たとえば、主治医の先生といつもそういう話をしているとか、家族と話をしておくとか、一人暮らしの人はもし自分がこうなったらというような意味で事前の指示書的なものを残しておく、こういうことは必要だと思います。では全員が全員、書くルールを積極的につくるというのは果たしていいのかどうかという話です。自分の気持ちも変わるんですよ。元気な時には潔く散りたいと思う方もいますし、いざ自分が重要な病気を抱えてしまった時は少しでも生きられるのならば生きたいと思う方もいます。その時々でマインドが変わってしまう。だから、私はその都度書くのはいいのですが、元気な時に書いたものに従って医療がいくという話は結構危険だなと思います」
八木キャスター
「現場で関わっていてギリギリになって変わる人とかいますか?」
石飛氏
「基本的に本人の意思がどっちを向いているのかが一言があるのとないのとでは関係者は大違いですよ。私は必要だと思います。ただ、鴨下先生がおっしゃるように法的に何がなんでもしなければいけないというものではない。それは自分の一生の生き方を考えたら、自分はこうしておきたいという人はそれをやっておくことがいかに役に立つのかを皆で考えて自由意思でやるようなシステムを考えた方がいい」
川島氏
「書面で作成することについては7割がOK。でも、実際に書面で作成してないということは、自分でどうしたらいいのか決められないわけです。それはなぜかと言うと、自分がどのように衰えるかという説明をプロである医者がキチッとしていないと。ここが最も問題で、たとえば、ピンピンコロリの話で6割以上がそう思っているのは、実は医療・介護職がそう思っているんです。これがお爺ちゃん、お婆ちゃんの会で、私がいろいろなところで話をしていますが、8割以上はピンピンコロリで死ねると思っています。しかし、医療・介護職もそう思っている、つまり、プロがそう思っている。そうすると、ピンピンさせてと言ったらがんばって延命させるかもしれない。ころりと逝かせてと言ったら意識はないし、呼吸器がついているから外しましょうと、医者が極端になる。つまり、医師が標準化してどちらかに分ければいいという考え方をしてしまうピンピンコロリ思想が医療従事者の6割に達している。そうすると、それで話をしてしまうから、自分はそういった段階を経て、衰えて、障害者になりながら亡くなっていく時に、どの段階でどれが自分にとって適切な医療提供や生活提供なのかということを考えることなしに、土壇場になってびっくりしてしまう。そうすると書面を作成していないということになってしまう。ですから、これからは終末期になっていく手前で必ず障害を持ちながら生きていく私達だから、障害者がどうあるべきなのか。障害者にしても昨年、差別解消法ができて、そういう法律との互換性が果たして尊厳死法というものがもし提出された時にどのように絡むかということも含めて、さらに医者がきちんと説明をしていない現状をどう打破するのか。医者がそういう話をしていない現場をまず改善するのが第一だと思っています」

尊厳死法案の是非
八木キャスター
「終末期の医療における患者の意思に関する法律案の見通しについて」
鴨下議員
「これから延命措置を中止するようなことを患者さんの意思があればどうするかというところが議論の焦点ですね。私も議員連盟に入っていますけれども、一人一人の死生観に関わる問題はすごく慎重な議論が必要だと思います。ですから、超党派ですが、賛否あります。こういう議論をもっと深めていって、国民の皆さんも巻き込んで最終的にどういう結論になるかということは、ある意味で慎重にやった方がいいと思いますね」
八木キャスター
「法律で定めるかということについて、定めなくてもよい、定めるべきでないという意見が国民も医師も多い。しかも、国民よりも法律に抵抗がある医師が多いようなのですが」
鴨下議員
「毎日死と向き合っているのが医師や医療者の現実ですから、その中で実際に毎日亡くなっていく人の意思というのは変わるわけですよね。特にがんの末期の方で今日は辛いから今日死にたいと思うけれども、次の日少し小康を保ったら、もっと生きて桜が咲くまでがんばりたいとか、揺れ動くものです。それを1つのデジタル的な意思表示をし、それを糧に医師、あるいは治療者が決めていくということは、私は進められないと思って、少し慎重にゆっくりいろんな意見を聞きながらやっていくべきだと思います」
石飛氏
「『EEP(アーリー・エクスポージャー・プログラム)』というのがあります。昨年まで高校3年生だった、医学部に入った最初の年にホームに1週間体験入学に入る。介護士と一緒に仕事をさせる。食事介助、オムツの交換、入浴介助、1週間が終わって立派な臨床記を書いてきますよ。こういう玉を我々は預かっている、磨かなければいけないと心から思いますよ。医師、教師は天職だと昔から言っていました。皆医者になって人のために尽くそうと思う、基本的に本性は変わらないんです」

終末期医療を考える
鴨下議員
「石飛先生は特別養護老人ホームの先生ですので、実際に施設で看取っているわけです。ですから、こういう先生に看取ってもらう特別養護老人ホームがあれば、私はそこで全うするべきだと思うんです。そこで急変したからと言って、救急病院に行ったりすることは、特別な事情でない限りは基本的にはホームで看取る。病院に運ばれるとあっという間に管をつながれて、がんばりきれるかというのが、特別擁護老人ホームの機能と救急病院でのキュア、治すための病院の違いをもっと皆さんが理解するべきだと思います」
川島氏
「もしお医者さんと患者さんの関係が良好だったら急に心臓が止まってしまって、慌てて家族が救急車を呼んで病院に搬送されることになった時にもともとの主治医がこの方はもともとこういう状況だから、そこまでの延命はしなくていいんですよという連絡をプロ対プロで取りあっていれば、初めに説明をしておいて、ご本人がそこまで望まないのならば初めからそういうことをしないようにしましょうというような文書をいつも持っていてもらってもいい。それは署名捺印する必要もなく、現在の時点ではそうですよ、次の時点では違うかもしれない。そういうことの繰り返しをやっていくだけで、足りることであって、法制化の話ではなく、そのような話し合いをお医者さんが常に患者さんやご家族としていくことが大事なので、人間関係をうまくつくれないお医者さんほどマニュアルに従ってやっていこうとする。逆に法制化することによって、考えないでそのまま遂行しようとする医者がでることの方がかえって現在の時点では危険だと思っています。だからこそ、お医者さんは7割が定めなくてもよいし、定めるべきではないと言っている、懸命な選択だと私は思います」

鴨下一郎 自由民主党衆議院議員の提言:『人は生きたように死ぬ』
鴨下議員
「たとえば、人間にとって一番大事なものは命ですから、命を失う時にはこれまで大事なものを失った時と同じように、ある人は狼狽するし、ある人は激しく抵抗するし、ある人はあっさりと諦める。自分の死を見つめることは、現在生きている生き方を見つめるということだろうと思っていますので、大事なものを失った時に、自分は一体どういう行動をするのだろうかということを自問自答していただくことが、死に直面する時に同じ態度になるのだろうと思います。生きてきたように人間は死んでいくのだろうと思います」

石飛幸三 特別養護老人ホーム「芦花ホーム」医師の提言:『自ら然り』
石飛氏
「漢字で言えば、おのずから然り、あるいはみずから然り。我々は自然の一部です。1回しかない人生をしっかり生きて穏やかに最期を迎える。自然の摂理です、穏やかな自然な最期は決して苦しいものでも何でもありません。それを方法があれば、やらなければいけない、これをあらためて今、科学技術が次々と進歩する時代に考えなければいけない時代がきています」

川島孝一郎 仙台往診クリニック院長の提言:『人は自分の死を経験しない。どう死ぬかではなく、どう”より良く生きる!”かだ。』
川島氏
「僕達が経験しているのは、生きていることだけですね。もし僕が今、死んだというふうに経験できたら、まだ生きていることになります。と言うことは、僕達は生しか経験しません。だから、どう死ぬかではなくて、どうより良く生きるかだということです。間違い言葉がいっぱいあって、尊厳死でも死は経験しないから尊厳かどうかわかりません。尊厳ある生という言葉が妥当です。満足死も間違いです。死は経験しないから満足かどうかわかりません。だから満足できる生です。生にこそ、私達はいろいろな支援をしていかなければならない。それを抜きにして死なせていくことは本末転倒です」