レギュラー版バックナンバー

第17話『富岡製糸場』初回放送:2014年11月5日(水) 22:00~22:55

 日本の産業革命の象徴ともいえるのが明治初期に始まった大規模な工場による絹産業。その大もととなった群馬県の富岡製糸場と絹産業遺産群、田島弥平旧宅・高山社跡・荒船風穴の3つの資産が世界文化遺産に登録されている。

 今回は、この遺産群が日本、そして世界の中でどういう役割を担ったのか、どうして日本の宝だけではなく世界の宝として認められたのか? それらを滝田栄が富岡製糸場を訪ね、学ぶ。

 欧州では1860年頃、蚕の伝染病が流行るなどしてシルクの不足が深刻となっていた。そこで注目されたのが日本の養蚕。日本ではそれまで良質なシルクを大量生産することができなかったが、明治政府は大規模製糸工場の設立を計画し、できたのが富岡製糸場だった。この富岡製糸場を手本とした工場が全国に広まり、それが日本の産業革命を果たすとともに、欧州のシルク供給を救うことに貢献した。

 富岡製糸場の建物は、フランスの技術者ブリュナによるフランス式の木骨レンガ造り。礎石の上に木の骨組みとレンガの壁を組み合わせた非常に頑丈な建造物で140年の間、一度も崩れたことがない。当時はレンガもなかったのでブリュナから学んだ日本の瓦職人が作ったのだ。また、繭を煮るための水を大量にためておく鉄水槽は、当時西洋から取り入れられたばかりの軍艦造船技術を応用して作られた。さらに、使用済みの水は排水溝を使って捨てられたが、その排水溝はレンガ積みとセメント造りだった。建物・機械・排水溝に至るまで当時のハイテク技術の結晶だった。

 そして、ここでは最先端の技術が取り入れられただけでなく、それまでにはなかった画期的な制度が取り入れられていた。働く女性従業員たちに対し、労働時間の設定・休日の付与。能力に応じた月給制度。敷地内には診療所があり治療費薬代も無料という、当時としてはすごい制度だった。

 滝田栄は、富岡製糸場建設当時の日本産業、そして140年もの建物の補修保全作業にかかる多くの費用、その維持についても考えていく。

スペシャル版バックナンバー

レギュラー版バックナンバー