3月11日で東日本大震災から丸5年を迎える。
 BSフジでは震災の年から被災した東北の鉄路をつぶさに取材し、毎年3月〜4月に「甦れ!東北の鉄路」と題し放送してきた。2014年に放送した番組では、日本民間放送連盟賞優秀賞を受賞、被災地の復興には鉄路の復旧が欠かせない事実を伝えた。  今回は5周年にあたり、被災路線の復旧の歩みを1750日の記録と題してまとめる。
 会社存亡の危機に陥った三陸鉄道を3年で全線復旧させた望月社長の経営手腕、その原点にあったのは「鉄路が無くなって栄えた地方都市はない」だった。またJR山田線のBRT化(バス高速輸送システム)に対し、頑なに拒否した宮古や釜石の市長も、鉄路が無くなり三陸が再び陸の孤島になることを一番危惧していた。
 山田線沿線自治体はJRと度重なる協議の中で、山田線を鉄路で復旧後三陸鉄道に移管することで合意し、現在復旧工事が進行中だ。
 開通する2019年には、釜石でラグビーワールドカップが開催される。その最たる移動手段が鉄路であることは言うまでもない。
 2014年、石巻線は終点女川まで開通した。
 2015年12月に駅前商店街やスーパーがオープンし再び町の賑わいを取り戻しつつある。その原動力となったのも鉄路だ。女川町の復興計画も駅を中心とした町づくりだった。
 駅は街の顔なのだ。
 2015年5月、仙石線が全線開通。津波で被災した野蒜(のびる)〜東名間は高台の内陸部に線路を移設。駅前には集団移転する住宅地の造成がすすむ。
 数年後には被災者の新たな暮らしがはじまる。
 2015年暮れ、大船渡線、気仙沼沿線の自治体は、JRが提案したBRTでの本復旧について、おおむね合意した。JRが1100億円の復旧費を投じても将来的に赤字は解消されないというのが理由だ。
 「地方自治体だ、JRだということでなく国がリーダーシップをとって復旧させる」と力強く答えた前国交大臣の単独インタビューも、今になってはむなしく聞こえる。
 この5年間で大船渡・気仙沼両沿線の高校では生徒数や受験生の減少が目立つ。三陸屈指の進学校気仙沼高校も例外ではない。南三陸の志津川から気仙沼までBRTでは1時間半の通学時間となる。鉄路では1時間だった。
 進路選択は受験生にとって将来を左右するが、通学時間や交通費など、希望する高校に、いきたくてもいけない現実がのしかかる。
 2016年12月、被災した常磐線の相馬〜浜吉田間が復旧し仙台と結ばれる。復旧工事の進捗は順調だ。しかし福島第一原発事故の避難地域を通る区間だけは今後、部分開通があるものの全線復旧のメドは立っていない。
 今回は、東北の鉄路の復旧の過程を見つめながら鉄路という公共交通機関とは何なのかを考える。